野元坂舘
別名 景清屋敷
付近住所 三重県亀山市辺法寺町
現在-
2009/8/17
碑アリ
日本城郭大系
伊藤氏
平安末期、平氏の一族伊藤景清(悪七兵衛)の舘跡。標高60メートルの台地上にあり、方形で外は土塁・堀を巡らしてあった。土塁南方の畑は今でも「馬場」と呼ばれている。
昭和44年3月、東名阪国道建設のため発掘調査によって、土塁・周涅(まわりの黒土)・溝土拡・柱穴群が検出され、土師器・陶器などが出土した。